細雪

本文:KANZ/イラスト:四ツ谷


1.

「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」

 もう年が明けて何度目の挨拶だろうか。三が日を過ぎ、流石に落ち着いては来たものの、それでもまだ訪ねて来る人は多い。稗田家当主である九代目阿礼乙女稗田阿求は、のんびりとした正月を過ごさせてはもらえない様だ。

 ここは外界と結界で隔離された幻想郷。その幻想郷の人々が住まう人間の里において、最も多くの資料と知識を持つ、千年以上続く由緒正しき稗田家。稗田家には『御阿礼の子』と呼ばれる子供が百年から百数十年単位で転生し生まれ、阿求はその九代目にあたる。御阿礼の子は、幻想郷のあらゆることを纏めた『幻想郷縁起』の編纂を代々続けて来ており、九冊目の幻想郷縁起の完成はもう間近だと言う話である。

      *

「ふぅ……」

 日が暮れ始め、来客も途絶えたので、阿求はお茶を淹れて一息ついた。

「今年は例年より随分来客が多い気がしますね。単に知り合いが増えただけなのでしょうが……」

確かにここ数年、急速に知り合いが増えた。幻想郷縁起の執筆のため、里の人間に妖怪や異変の話を聞くこと自体は以前からやっていたが、最近立て続けに大きな異変が起こったため、それに応じて取材の回数も増えていたのだ。おまけに妖怪の知り合いも増え、実際、年始の挨拶をしに来た妖怪もいたぐらいだ。だが、

「会った記憶のない方も来られているのですよね」

阿求は『一度見た物を忘れない』能力を持っている。彼女が記憶にないのだから、それは本当に会ったことのない人なのだ。転生前の記憶の大半は失われるが、妖怪ならいざ知らず、普通の人間が百年以上も長生きしていられるはずがないので、先代のときの知り合いと言う線はまずない。やはり初対面と言うことになる。会ったことがないのだから、本当にたいした話題もないのだろう。挨拶と少しの世間話ですぐに帰ってしまう。どう言う繋がりで訪ねて来られたのかを、会話の内容で窺う余地もない場合がほとんどだった。

「まあ、おそらく以前にお会いした方の御家族の方なのでしょう。あるいは幻想郷縁起の話を聞いて、好奇心で訪れたか……」

現在阿求が執筆している「幻想郷縁起」、これが完成間近であると言う噂、いや真実であるが、それが人間の里、そしておそらく妖怪の山などにも広まっている様である。実際、博麗の巫女や妖怪の賢者が内容を検めに訪ねて来たこともある。もちろん、妖怪とほとんど関わっていない様な人間の記録が幻想郷縁起に載ることはないが、それでも気になる人はいるのだろう。

「そう言えば、完成時期を尋ねて来る人もいたな」

幻想郷縁起の完成、つまり現状の資料をまとめる作業はもうほとんど目処は立っている。だが大きな異変があったり、外の世界から新しい妖怪がやって来れば、その度に加筆して行くことになるだろう。もちろんある程度の区切りを付けて一応の完成とはするが、本当の意味での完成は永遠に来ないのだ。

 ――ふと、一通の封筒が目に入った。今日訪れた客の一人が後で見るようにと置いていったものである。

「お年玉、ではないですよね」

実際、外見の幼さもあって、阿求にお年玉を与えようとするお年寄りは少なくない。阿求は丁寧にお断りするのであるが、押し切られて受け取ってしまうこともある。だがこの封筒はおそらくそうではない。お年玉に使われるポチ袋ではなく、本の一冊でも入っていそうな大判の封筒なのだ。手に取ってみると、重さもちょうどそれぐらいである。

「一体何なのでしょう」

そう呟いてみるが、結局は中身を見てみないことには分からない。阿求はお茶のおかわりを淹れ、封筒を開けた。

「これは……」

 封筒の中には装丁の綺麗な冊子が。中には正装をした男性の写真が入っていた。一目見るなり、阿求はすぐに理解する。

「ああ、そう言うことか」

封筒に入っていたものの正体はお見合い写真。阿求は自分がそう言う年齢に立っていることを実感した。


2.

 阿求は写真を閉じてお茶に口を付けた。写真の男性には見覚えがある。流石に稗田家には及ばないが、稗田家当主の見合い相手に相応しい、中々に大きな家の子息だったはず。

「ふむ」

そう呟く阿求の声は、写真の男性に、と言うよりお見合い自体に全く興味を持てずにいる様だ。

 しかし阿求のお見合い、正確には結婚と出産は、稗田家当主として必要なことである。また、阿一から続く御阿礼の子らは、代々阿礼直系の家系から生まれて来ている。阿求が死後、十代目御阿礼の子として転生するためには、阿求が結婚し子供を授かることが必須なのだ。もちろん、それは稗田家に残された資料から言えることでしかない。いずれかの代で、不幸にも子宝に恵まれなかったことがあったかも知れない。だがそれは稗田家においてはあってはならない出来事。実際にあったとしても、記録として残っているはずはないだろう。

「あのスキマ妖怪なら、何か知っているかも知れませんけどね。まあ私はこうしてきちんと転生して来れているのですし、何かを知ったからと言って、何が変わるでも無いでしょうけど。ああ、そう言う事実があったのなら、今生で結婚を拒否しても良くなるかも知れませんか」

それはちょっといいかも知れない。一瞬そう思ったが、実際に訊いたところで、おそらく変に含みを持たせたあいまいな回答が得られるだけだろう。彼女はそう言う性格である。

 日が完全に沈もうかという頃になって、玄関の方から声が聞こえてきた。もう遅い時間だがまた客人が来たのかと、阿求は立ち上がる。流石にこの時間に来て上がり込んだりはしないだろう。一瞬そう思ったが、今の時間を考えるとそうではない客人の可能性が頭に浮かぶ。部屋を出ると、ちょうど阿求を呼びに来たのだろう、使用人の一人がおどおどした表情で立っていた。

「あの……お客様が……」

ああ、この反応は部屋まで上がり込まれるお客様かな。そう考えつつ了解して玄関へ向かう。玄関には予想通り、これから活動時間が始まる、『妖怪のお客様』が立っていた。

「あけましておめでとうございます、紫様。冬は休養されていると聞いていましたので、新年の御挨拶が出来るとは夢にも思っていませんでしたわ」

そこにいたのは八雲紫。境界を操る能力を持ち、幻想郷の創造にも関わると謂れる、実力もトップクラスの大妖怪である。そして先程阿求が呟いていた『スキマ妖怪』とは、まさに彼女のことであった。

「あけましておめでとう。ええ、ちょっと呼ばれた気がしたのでね。貴方が、呼んだのかしら」

わざわざ玄関から入ってきたが、紫はその能力を使って不意に部屋の中に現れたりすることも出来るらしい。おそらく先程の阿求の独り言をこっそりと聞いた上で、こう言って来ているのだ。もちろん阿求はそれを分かった上で白を切る。

「いえいえ、その様なことは。幻想郷縁起の完成まであと一息と言うところですので、完成次第こちらから伺わせていただきますわ。立ち話も何ですし、どうぞ、お上がりください」

そう言って阿求は紫を奥に通す。紫はこんな小さな嫌味のためにわざわざ出てくる様な小物ではない。何か別に用があってのことだろう。足音を立てずに付いてくる紫の気配を背中に感じつつ、阿求は部屋に戻った。

 部屋に戻り紅茶を淹れる。阿求の今一番お気に入りの紅茶だ。紫にもなかなか好評な様で、阿求は少し誇らしくなった。思わず笑顔がこぼれる。一方の紫は、紅茶を飲みながら部屋の中をキョロキョロと見回していた。以前に来たときからほとんど変化なんてしていないはずなのだが。そう阿求が思ったとき、紫の視線がふと止まった。阿求が紫の視線を追うと、そこには先程見ていたお見合い写真が無造作に置かれていた。

「あの、まさかその話ですか」

お見合い写真を手に取り楽しそうに眺める紫に阿求は声をかけた。紫が何用で訪れたのか全く想像できていなかったが、それでもこれは完全に想定外だった。そんな阿求を見て紫が微笑む。

「あら。どうしたの、そんな驚いた顔をして。面白いものがあったからちょっと手に取っただけよ。それにあなたもそろそろ結婚してもいい歳ですもの。お見合いの話が来ても別に不思議ではないわ」

満足したのか、紫は写真を元に戻す。

「あなたは聡明だから、わざわざ私から話さなくてもよく理解していると思うけれど、あなたが結婚し子供を産むということの意味を、決して忘れないことね。それに……子を産み育てると言うことも悪くないわ……」

そう言う紫の表情は優しさに満ちていた。

「え? それって紫様にお子様が……」

阿求は問い返す。今まで聞いた事もない、過去の幻想郷縁起にも載っていない話だ。紫はその質問には応えず不意に立ち上がり、そのまま部屋を出ようとする。慌てて阿求も立ち上がり追いかけようとすると、紫は廊下で振り返り、先程と同じように優しく微笑んだ。

「見送りは結構よ。幻想郷縁起の完成を楽しみにしてるわね」

そう言って紫は襖の陰に消える。阿求が廊下に出ると、もう紫の姿はそこにはなかった。


3.

 紫が帰り、部屋には阿求だけが残された。

「八雲紫の子供……」

明言はしなかったが、明らかにそれを匂わせる発言だった。ただの人間相手の発言であれば、性質の悪い冗談で済んだかも知れないが、相手は幻想郷縁起編者である阿求である。いや、相手が阿求だからこそ、不確かな情報のまま噂が広まって行くことがないとも言える。阿求は自身の立場と、それによる発言の重みをしっかり分かっている人間である。紫もそれを分かっての発言だろう。

「確かに、八雲紫の様に長く生きた妖怪であれば、子供の一人や二人いてもおかしくはないですね。今は式と生活している様なので、いたとしてもとっくに独り立ちしているか、あるいは既に亡くなられているか。しかし今までそんな話を噂レベルでも聞いたことがなかったと言うことは、今の幻想郷に事実を知る妖怪がいない可能性が高いでしょう。もしくは過去を知る妖怪たちが揃って口を閉ざしているとしたら、それこそこれ以上の情報なんて出てくるはずがない……」

阿求はもう一つの可能性にも気付く。

「外の世界、か」

紫は幻想郷とその外の世界を自由に行き来出来ると言う話だ。外の世界で子を儲けた可能性もある。しかしその確認は一層困難である。幻想郷内の出来事の比ではない。不可能と言ってしまって問題ないだろう。結局阿求に分かるのは、真偽自体が不明であり、確認する手段すらない、と言う事実だけであった。

(――長く生きた妖怪であれば、)

 一瞬、阿求は自身の言葉に引っ掛かりを覚えた。反芻してみるが、別段誤りがあるわけではない。

「長く生きた……」

阿求は呟く。その引っ掛かりが、その言葉を通して短命な自身を見たが故のものであると、阿求は気付いていた。御阿礼の子は転生が不完全な為か、その能力故か、余り長生きすることが出来ない。更に転生の術は寿命の尽きる何年も前から準備しなければならない。妖怪と比較するまでもなく、普通の人間と比べても阿求の生きる時間は短いのだ。

「最近里の人間達に会った時に感じた違和感も、それが原因なのでしょうね」

今年挨拶に来た人達を思い返してみると、今思えば、彼らの表情に少しの不安が混ざっていた気もする。幻想郷縁起の進行や転生の準備等、当人はまだ時間的余裕があると思っていても、傍から見ていることしか出来ない他人にとっては、過剰に心配してしまうのも仕方がないことだ。それに御阿礼の子の転生は、里の人間達にも無関係な話ではない。多少強引にではあっても、安心を手にしておきたいのだ。もちろん、見合いを持ちかける腹の内には、稗田家に取り入ろうと言う下心もあるのだろうが。

「しかし、私ももうそんな歳ですか」

阿求はそう言うが、実際阿求の年齢で嫁いで行く子は少なくない。稗田家ほど大きな家であれば、本来なら二桁のお見合いの話が来ていてもおかしくないのである。それがなかったのは偏に、幻想郷縁起編纂中の看板が掲げられていたからに他ならない。だが今回のお見合い話が噂程度であろうと里に流れると、待ち兼ねていた他の人間も、競って動くかも知れない。今年は例年とは違った忙しさに見舞われそう。それを思うと、阿求は正月早々疲れを感じざるを得なかった。

 ふと、阿求の脳裏に『死』の一文字が浮かぶ。過去に比べて危険は多少減ったとは言え、妖怪が身近にいるこの幻想郷。それは同時に死が身近にあると言う意味でもある。だが阿求の想った死はそれとは違う。死を思うにはまだ早い年齢であるが、阿求にとってはそれほど遠い未来ではない。それでも今までは幻想郷縁起編纂の忙しさもあって考えることはなかった。それが今日、紫や人間に触発され、僅かながら将来を想ったが故に、思い至ってしまったのだ。

「……っ」

阿求を嫌な寒気が襲う。死後百年ほどで転生し再び生を受けるとは言え、今の自分は後十年と少しすれば死ぬのだ。もしかするともっと早まることになるかも知れない。もう考えないように、そう思ってもそれが引き金になって思考は止められない。今日大した用事もなく紫が現れたことも、今の阿求にとっては不安を煽る材料にしかならなかった。阿求は震える体を暖める様に、自分の体を抱き締めた。

 数分後。落ち着いたのか、阿求は部屋の畳に仰向けに寝転んだ。ボーっと天井を見上げる。

「死か……。過去の御阿礼の子ら、と言っても結局私ですが、彼らはどうやって乗り越えて来たのでしょう。優秀な私のことですから、心穏やかに死を受け入れたに違いありませんが……。ちょっと先程の私は取り乱し過ぎましたね」

冗談めかしているが、阿求の表情は未だに優れなかった。

「そうですよ。過去に何度も受け入れて来たこと。今更慌てるようなことではないのです。ああ、転生前の記憶を失っていることが非常に残念です。前世の死の記憶を持って転生出来れば、二度目からは何も恐れることはないのですから。二度目でまだ克服出来ていなかったとしても、三度、四度と繰り返す内に、いずれは死の恐怖など、いえ、恐怖どころか何の感情も抱かずに受け入れることも可能になるはずです」

そう言って阿求はため息をつく。

「それは人間として、決して望ましい姿ではないのですけれどね」

立ち上がり阿求は襖を開く。空にはもう綺麗な月が昇っていた。

      *

「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」

 まだ今日も稗田家の来客は多い。客人と交わす阿求の笑顔は、昨日と何も変わらないように見える。だが昨晩を経て、阿求の心の内に何らかの変化があったのは間違いないだろう。強い精神力を以って押さえ込んではいるが、芽生えた不安はまた何かの切欠で噴き出すかも知れないのだ。

 死への恐怖をどう受け入れるか。それは阿求が転生の準備を終え彼岸へ向かうその時まで続き、転生してはまた立ち向かうことになる永遠の課題である。人間達との関係を蔑ろにするつもりはないが、転生を経ても再会出来る妖怪の友人達が、その苦悩を和らげる支えになってくれることを、阿求は願わずにはいられなかった。

「あ、寒いと思ったら……」

 窓から空を見上げると雪。阿求はいそいそとお湯を沸かし、雪を肴に紅茶を飲む。幻想郷に降る雪は、いつの時代も変わらず美しく、人々や妖怪達を愉しませている。阿求が次の転生を終え、再び幻想郷に生を受けたその時も、きっと。

(終)

この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件等々とは一切関係ありません。


収録:2011年2月20日発行『細雪』


「小説・SS」のページに戻る